「マリスポ」はじめて物語

「なんでみんな、こんなにもつまらなそうなんだ?」

久しぶりに地元の同級生や先輩たちに会ったときに、そう感じてしまった高木社長。あの頃はみんなもっとキラキラしていたし、面白いヤツらだったのに、今では小さくまとまって、早くも人生諦めムード。子供の頃から刺激大好き、楽しいことが大好きだった高木社長は、「このままではいかん!」と立ち上がる。

資金がない。信用ない。経験がない。学歴がない。知識がない。能力がない。お金もない。分別もない。あるのは借金とやる気だけ-----

そんな自分でも、会社を起こすことができるんだ。人生まだまだ楽しめるんだということを、みんなに見せたかった。彼らにも自分の可能性をもっと信じて欲しい。その一心だけで、生まれ育った宇佐美の海にダイビングショップを開くことを決意する。

決意も熱意もカタかったが、最初のハードルの高さといったら予想を遥かに超えたものだった。今でこそダイビング人口も増え、ショップもたくさんあるが、当時(昭和の終わり頃)の宇佐美は生粋の漁師町。ダイビングショップどころか「俺たちの海にそんなチャラチャラしたもん、作らせるわけにはいかない!」と、取り合ってもくれない。

交渉に行くたびに、やかんを沸騰したような勢いで怒鳴り声が炸裂する。持っいった企画書はビリビリに破られ、お土産の菓子折り海の中に放り出され・・・。
しかし、高木はくじけなかった。高木だけがくじけなかった。

宇佐美の海は他のダイビング会社も注目していたようで、何社か競合が交渉に来たりもしていたが、漁師たちの勢いに驚いて、尻尾を巻いて、みんな逃げて行く。そんな状況を「これはチャンス! もう、できたも同然!」と、高木だけが目をキラキラさせて、粘り強く交渉を続けたのだ。

雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も、高木の日参は続く。その姿は、漁師たちの頑固な心にも少しずつ灯を灯し、次第に応援者が増えて行った。

その後、そんな応援ムードを一掃するような「大事件」が起こるも、時の流れは高木に味方をしてくれた。数々の困難を乗り越え、まさに紆余曲折を経て、平成元年の5月、ついに宇佐美にダイビングショップがオープンした。

オープンにまつわるドラマは、いつかカタチにしたいと思っているが、創業してから今年で25周年。四半世紀が経とうとしている今、ぐるっと回ってスタート地点に戻ったように感じている。いろいろと痛い目にもあってきたが、その痛みを体験できたからこそ、自由に働ける場を提供し、自由に育ってもらうことの大切さにも気づくことができた。

高木潤一52歳。さらにパワーアップした楽園創りを目指している。

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